其ノ一
アウト・ブルーズ(1)



 人の命は尊いもの。
 ここ数年、この国じゃ誰もがそう口走っている。らしい。

 なんでも十年前の戦争以来、教会から弾圧され抹殺され続けてきた機械技術のノウハウが他国の技術者を通して伝わり、あらゆる事業に革命的な進歩を遂げさせている。らしい。
 お陰でこの国はいまや建国以来の超々好景気で、戦争前は求めても誰も応えようとしなかった仕事の斡旋も、今じゃ金貨五枚と引き換えにしてでも一人でも多くの働き手が欲しいというのが実情で、一つの労働力がもたらす利益は 前述の通り一月で金貨五枚を凌ぐと比喩されている。それぐらいの稼ぎ時。らしい。

 らしいらしいと断定し切れて居ないのは、俺自身が他国からやってきた人間だからだ。
 やって来たのが、確か2年前。
 その頃も好景気で街は騒がしく誰の目も生きていて、まるで街そのものが好景気に浮かれている生物のように錯覚したものだった。
 しかし景気はそこから更に伸びた。好景気という名の鉱山は底なしに金を吐き出し続ける。
 機械技術――主に蒸気機関――はそれだけの力を持っており、今や鉄道事業を営む者はその財力を以って国家を揺るがしかねないほどの大富豪になった。それも貴族の称号を持つ者ではなくただの平民。
 俺の国でも昔は主君を踏み台に成り上がる「下克上」が流行っていたようだが、それはほとんど権力のみの話。莫大な財力さえあれば武力も権力も後から着いてくるというものだ。
 「金は尊い、金こそ全て」
 そんな欲望が今のこの国の原動力であり、それは末期の権力者達が何をやってでも縋りつくような醜い欲ではなく、寧ろ健全な競争と自己の発展を誘発する透き通った綺麗な欲。
 この国に住まうものたちは、今はまだ身を固めるより走り続けていたいと思っているのだろう。
 
 しかし、だからといって命が尊いのだと言えるだろうか。
 尊いのは労働力であって、命そのものが何かを生み出すとは言えないのでないか、と思う。
 命そのものが生み出す金など、精々名の売れた悪党の首にかかる懸賞金が限度。
 金だけで世界が回っていると言うつもりは無いが、金無しで回るほど世界は単純ではない。
 人を斬ってナンボの流れ者である俺には、人の命は尊くとも価値のあるものだとは到底思えなかった。

 風を切って走り続ける蒸気機関車の窓より見える風景から無駄に散っていった命の跡が見える。
 小規模の戦によって燃え盛った木々は、黒くなれど未だ赤く熱を保っている。
 風が吹けば燃え上がり、燃え上がった火が風に飛ばされて新たな火種となる。
 旧教会派の力の爪痕を眺めながら、俺の頭はいかにすれば十年前の戦争は真に終結するかなどと、外国人らしく他人事のように、かつ他愛も無いし終わりも来ない思考に耽っていた。









 ホーリベルは大きな街である。
 かつて世界が地獄の悪魔たちによって脅かされていたという神話の時代より「天使の聖なる鐘」を以って巨大な結界を張り、対悪魔の最前線として大きくなり、悪魔が封じられた後は聖なる鐘を象徴に教会の聖地の一つとして栄えてきた街であるから、規模が大きいのは当然と言える。
 そして十年前の戦時中も教会側と王国側のどちらにも着かず、当時領主であったサーヴァイン・ワートゥール伯爵とその妻・メリッサの巧みな政治手腕によって徹底して戦火を回避していたこともあり、平和の地として移り住んできた者も多数いる。
 戦争が終わった現在も旧教会派と新教会派のバランスを保つ重要な都市として、好景気による発展の恩恵を受けつつも古き良き時代の名残を残す古都としてあらゆる人を集め、呼び寄せた。

 伯爵亡き今、彼の娘であるシャルロット・ワートゥールが代理領主として街を治めている。
 元々魔道隊志望である彼女の統治は平和的であり領民からの支持も大きいが、父サーヴァインの統治と比べられ過小評価を受けることも少なくない。しかしシャルロットの妹・シャーリーが治安を担当し彼女を支えている。
 ホーリベルは平和で大きな街である。






 何かを買いたいなら金が必要になる。常識である。
 レストランで料理を食べたなら金を払わなければならない。常識である。
 その金が無いなら取れる選択肢は僅かしかない――食い逃げ――Eat & Runである。
 近年アマデウスの景気はかつてないほどの盛り上がりを見せているが、鉱山が無い・工事に手間と金が掛かる地方や田舎では未だに農業による稼ぎが主になっており、都会の働き手の増加によって買い手は多いものの機械技術を使っている事業に比べればその稼ぎは微々たるものだと言える。
 故に田舎から夢(と書いて金と読む)を掴みに都会へ足を向ける若者も少なくない…というか現在の労働力の主たるものの一つはこういった上京組であったりするわけだが。
 その上京組も全員が全員純粋で輝く瞳で前しか見ない真面目な好青年ばかりではなく、寧ろ後ろ暗いことで上り詰めようとか国に反旗翻して王様になってやろうとか若気の至りも至りきった分不相応な夢(と書いて力と読む)を掴みに来る悪党も少なくなのである。
 そして、そんな田舎の悪党が一番最初に行う悪事は大抵がちゃちいものであるのが常なのである。 

 今ホーリベルの大通りを走っている男も、そんな悪党のウチの一人。
 とはいえ本人に最初からお代を踏み倒す――食い逃げをするつもりがあったわけではなく、都会の料理の上手さに感激し彼是何も考えずに食べまくった結果、自分の財布がどれだけ貧相で軽いものか忘れてしまっていたのである。
 払えないなら働いて返す。
 労働者が増えるということはそれに応じて腹ペコが増えるわけであり、多くのレストランも景気の波で上がり調子で、雑用だろうと何だろうと猫の手だろうと犬の手だろうと働き手は一人でも多く欲しい。
 レストラン側からすれば相手はお代を払えなかったという負い目があるし、警備隊に引き渡すことをネタに脅しが効くからお代の分を遥かに超える仕事を与えてコキ使うことができる。前述の通り雑用でもなんでも働き手が必要な時期であるからこういう状況になれば中々美味しいのである。

 問題なのは今のような状況、食い逃げされた場合である。
 食後に激しい運動など出来る筈もないから近場で捕まえて御用となるわけだが、かつての貧困の時代を生き抜いてきた若者だからか、今回のようなケースになると捕まえるのも一苦労だったりする。
 上京組が貴重な労働力として重宝される理由の一つに貧困に耐え農作業で鍛えた強靭な身体があるのであり、ホーリベルのように数少ない不況知らずの微温湯で育ってきたかつての貧弱少年たち とではその身体能力は比べるべくも無い。


「なんだ、もう追ってこれねーのかよぉ!」

 男は多少息を乱しながらも未だに余力十分。
 対して怒鳴りながら追ってきた料理長は膝を付いて呼吸を乱し、男の声すらよく聞こえてはいない。
 有る程度おおきな街であるなら見慣れた光景であるし、ホーリベルも例外ではない。
 ここまで差が付けばもう逃げ切ったも当然。警備隊も食い逃げ一人捕まえ行けるほど暇ではない。

 食い逃げ男の中には今、達成感と優越感、そしてこれからの自分への自信が満ち溢れている。
 俺ならやれる。こんな簡単に成功したんだ、大盗賊団として闇に名を馳せることだって…。
 食い逃げの成功率と大盗賊団の頭になることを比べてしまっている辺り男の世間知らずさがにじみ出ている。実際はそんな思考に周りが気付くはずも無く他者からのツッコミもないまま増長していく。
 上京してきたばかりの田舎者にとって自分の世界とは自分が見たい世界だけの箱庭なのである。

「ちょっと」

 そしてそんな箱庭は、少しでも自分より大きな存在によって無残に破壊されるのが常。

「この街で食い逃げなんて、いい度胸してるじゃない」

 この食い逃げ男の不幸は二つ。
 まず一つは「ホーリベルで」食い逃げを行ってしまったこと。
 もう一つは、巡回中の『彼女』に出会ってしまったこと。

 自信と怒りに満ちた激しく、けれど鈴のように美しい声。
 思わず振り返った背後には、濃い藍色の長髪を風に靡かせる少女が一人。

「…なんだお前」

 そう聞いては見たが、身形から少女がどういう立場の人間かは分かる。
 見るからに質のいい服と毎日かかさず手入れされているだろう長い髪。
 見た目はともかくとして今まさに犯罪行為を行ってきた「怖い男」を前に怯むことなく立つ度胸。
 そして台詞と顔の端々に満ちる気品と傲慢さ。
 これでも村へやって来た徴税官の顔くらいは見たことがある。

 この女は、貴族だ。

「私? 私はホーリベル前領主サーヴァイン・ワートゥールが二女にしてホーリベル現領主シャルロット・ワートゥールの妹、そしてこの街の治安維持を任されている者…シャーリー・ワートゥールよ」

 覚えておきなさい、などと抜かした。
 あまりに時代がかっているというか隙だらけというか、とにかく今のうちに逃げられそうに見える。
 が、食い逃げ男は内面かなり焦っている。
 平民同士の諍いなら、負けたとしてもまだ警備隊にしょっ引かれる程度で済むものだが、そこに貴族…それも阿呆みたいに正義感の強そうな奴が出てきてしまえばそう簡単には済みそうに無い。
 だが、それでも食い逃げ男の内面に諦めや謝罪などという言葉は無い。

「知らねぇよんなもん。怪我したくなかったらとっとと退け。犯すぞガキ」

 男の脳裏に浮かぶのは、いとも簡単に出し抜かれ、今も後方で息を切らせている料理人の姿。
 日々身を粉にして働いているであろう男でさえあれなのだ、それと比べ物にならないほど怠惰な生活を送っているであろう貴族令嬢など恐れるに足らない。持っている権力は大きいだろうがそんなもこんな状況では何の役にも立たない。
 要は今、この状況を切り抜けられればいい。
 目の前の偉そうな女を殺しても殺さなくても出し抜ければいい。 

「…出来るものならやってみるといいわ、下衆」

 不機嫌さを隠そうともしない少女。
 警備隊が来ないとも限らないし、後ろの料理人が復活すればそれだけで状況は不利。
 ならば目の前の女を打倒しての一点突破が上策。

「やってやるよ!」

 身体の細さからは考えられない引き締まった食い逃げ男の両腕。
 流石に騎士や傭兵とは比べられないが、一般人と比べればその差は歴然としている。
 凄まじい勢いで突っ込んでくるソレを止めようとしているのはこれでもかというくらい細い少女。
 無茶無謀を通り越して不可能。このままでは少女は無事ではすまないだろう。 


 少女が「普通の少女」であればの話だが。


 迫る食い逃げ男の目に少女が何事かブツブツと呟く姿が見える。
 しかしそんなものを気にできるほど男の頭は良く出来てはいない。
 このまま特攻して、当たらなくともそのまま走り去ればいい。それが男のシナリオ。

 ここで食い逃げ男に誤算が一つ。
 この国の人間であれば子供だろうと老人だろうと知っていることを忘れている。
 この国の貴族には二種類あることを、忘れている。
 一方の親の七光り・過去の栄光による立場ではない、もう片方の貴族。
 それは「常人には出来ないことを行う」ことから「貴き血統」と認定された貴族たち。
 即ち――。


「ッしゃあ!」

 男は走って来た勢いをそのままに腕ごと拳を振るう。
 予備動作バレバレ、隙だらけの大振り。
 常人でも注意深く見れば避けられるだろうその一撃を、少女は一歩横に身体をズラすだけで回避。
 しかし避けられることもまた良しとした男にとってそれは問題ではなかった…筈だった。

「…吼えなさい=v

 男の拳を避けたのと同時に呟きの止まった少女――シャーリー・ワートゥール。
 今まさに通り過ぎていく真っ最中の男の背中に、突き出した左手。
 そして呟きではない、小さくともハッキリと耳に入る一言。

 その瞬間だった。

「!!?」

 男は、背後から異常なほどの圧力を感じた。
 打撃? 違う、背に感じる力の面積があまりにも広い。
 あまりに異質なその力に、男の頭は「突風」とイメージを映し出す。

 その瞬間、男のイメージ通り突然巻き起こった「突風」によって男の身体は宙を舞った。

 驚く暇も無い。
 男は何が起こったのか、今自分がどういう状況にあるのか理解しないうちに。

「…ん?」

 飛んでいく自分の射線上に存在した男を巻き込んで。

「何ぶッ!!」

 地面へ激突し、意識を失った。





「…ま、ざっとこんなものかしらね」

 髪をかき上げて勝利を確信するシャーリー。
 それを契機に、何時の間にか集っていた大通りのギャラリーから歓声が上がる。

 貴族には二種類ある。
 一つは、もともとの家系からその称号を持つ血縁貴族。
 もう一つは、かつて神話の時代に天使が使っていたとされる尋常ならざる力・魔法を行使する者達。
 即ち魔法使い=\―魔道貴族のこと。

 もうどれほど昔になるか、教会は魔法こそかつて悪魔の襲来より現世を守り、そして去っていった天使たちが使っていた聖なる力であるとした。
 そして、魔法を使うことが出来るのは限られた血筋の者達のみ。
 故に教会は魔法使いたちを尊く貴い血筋とし、王へ掛け合い貴族の称号を与えることを認めさせた。
 教会の力が弱まった今でこそ「かつての魔法使いたちが貴族になった流れは全て教会の魔法使い達が権力を手に入れるために仕組んだこと」と言われているが、それでもこれまで魔道貴族はその強大な力を用いて多くの民に崇められると同時に恐れられ、各領土の治安維持に貢献したことは事実である。
 その治安維持が平和的なものか恐怖によるものかは各所によって違うものだし評価も分かれるところだろうが、近年のホーリベルに於いてワートゥール家の統治は概ね好評である。

「…あ、ありがとう、ございます。毎度ご、ご苦労を」

 ようやく回復し、この場にやって来た料理人はまだ疲れの滲む口調でシャーリーに礼を述べる。

「いいわよ、私の役目だし。それより今月で何度目?」

「…五度目です」

「最近ガラの悪い連中がよくこの街に来てるけど、あんたのところも迂闊よ。もっと用心なさい」 

「面目ない…」

 ギャラリーの歓声がささやかな笑いへと変化する。
 釣られて料理人に忠告したシャーリーも、忠告された料理人も俄かに笑い出す。
 先の戦争以来、貴族と平民の融和がかつての体制から脱却する意味のスローガンの一つとして掲げられたが、それを実践した領地は少ない。しかしホーリベルに於いては戦争の前からそんな状態なのである。
 今のこの笑顔こそが、前領主から受け継がれたこの街の宝であるとシャーリーは思う。

「…ねぇ、シャーリーさま」

「何かしら?」

 上機嫌で子供の呼びかけに応えるシャーリー。
 悪を成敗した後のシャーリーは大抵機嫌がいい。

「わるいひとね、てがね、よっつもあるよ。なんで?」

「四本ね、それはその人が悪い………四?」

 人一人が持つ腕の数は二本が限界だ。
 そんなもの目の前の幼い少女でも知ってるくらいの常識だ。
 なら何故四本。
 確かにかつて錬金術における研究で人間の五体を増やすというトンでもないテーマがあったそうだがそもそも人間の身体に何か細工を施すということ自体が当時では現実離れしたことであったというのにそんなもの実現できるわけもなく企画倒れとなったわけだがそれとこれと今は関係なくて…。

 既に吹っ飛んだ食い逃げ男の方を向いているギャラリーに遅れて男の方に顔を向けるシャーリー。

 そこには失神している男がうつ伏せで倒れており、確かに男の腕が二本多い。
 生えている場所が若干おかしいというか、それどころか足が四本あるようにも見え…。

「…シャーリー様、男の下に誰かいません?」

 よく見てみる。

「…いるわね」

 詰まりどういうことだろう。
 シャーリーが風の魔法を使った。
 男は吹っ飛んだ。
 そのまま地面に激突して男は失神した。

 これだと誰かが下にいるのはおかしい。

 詰まりどういうことだろう。
 シャーリーが風の魔法を使った。
 男は吹っ飛んだ。
 そのまま地面に激突する筈が通りすがりの誰かを巻き込んで地面に激突した。
 男は失神し、激突した誰かは男の下敷きになった。

 成程、こう考えれば筋が通る。
 謎は全て解けた。真実はいつも一…。

「あの、シャーリー様。下にいる人…男みたいですが、ピクリともしないんですけど」

 何時の間にか有志の手によって食い逃げ男の身体から解放されていた犠牲者A。
 あのスピードで宙を飛ぶ青年のぶちかましを食らえば無事に済むわけも無い。

「なんて冷静に考えてる場合かー! ちょ、ちょっと大丈夫なのこの人!?」

 惨劇の現場に急行するシャーリー。
 調子に乗って威力調節失敗したか…などと考えながら犠牲者Aの顔を覗き込む。
 …確かにピクリともしないし、救助した男に頬をはたかれているが目覚める様子も無い。
 だが、シャーリーの目は既にこの男の状態を追っていなかった。

 特異な風貌だ。
 黒い髪の毛に、白よりもずっと濃い肌の色。
 アマデウスにも黒い髪の毛の人間は存在するが、それは一部の地方にのみ存在する珍しい例。
 それにこの肌の色はなんというか…白と黄色を混ぜたような、妙な色をしている。
 アマデウスに存在する人間の肌の色は白か、黒か、若しくは日に焼けた褐色。こんな肌の色をした人間なんて見たことも聞いたことも…いや、聞いたことはある気がするけれど、思い出せない。
 服装は特に珍しくも無い旅人の服装だが、目に留まるのは腰から下げられている二本の剣。
 曲刀と呼ぶには反りが足りないし、かといって長剣と呼べるような外見でもない、反身の剣。

 ただの被害者であれば直ぐにでも対処を施すだろうが、男の持つあまりに特異な姿形にシャーリーは男を凝視し、思考を巡らせるだけで動けないでいた。

 季節は春の一歩手前、冬の寒さが遠のいた過ごしやすいある日。
 ホーリベルの大通りの昼時は何時もよりやたら騒がしく流れていくのだった。





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